小泉八雲

自然と共生できてシンプルライフを送れる人たち、が生存適任者である。これは小泉八雲が明治時代に講演で語った言葉である。自然と共生してきた謙虚な日本古来の精神を愛して作品につづりました。東日本大震災津波で一躍注目された津波から村人をまもったはなし、仏の畑の落穂、のなかの一編、生き神、も八雲の作です。稲村の火という民話は動画にもなっています。松江の街を愛して八雲と名乗り日本に帰化したのですが詳しい話は後日。松江、宍道湖、とてもいいところです。

ところでなんで今時分、、八雲さんが登場したかというと話せば長いのです。11月中旬から12月にかけては毎年かかさず上京して墓参をするのです。どうしても手をあわせなければ気が済まない人が眠っているのです。わがご先祖様(それほど大それたものでもないのですが)の墓と背中合わせに小泉八雲さんの墓があるのです。それでハナをたらして文学のぶの字もしらなければ興味もまったくなかったガキのころからご存じの方だったのです。東京の雑司ヶ谷霊園は池袋から歩いて近くなので緑のオアシスのようなところで、墓マイラー称する人がよく文学散歩にきています。夏目漱石泉鏡花島村抱月永井荷風などキョウヨウのあるかたなら知っているかたがたがねむっているのです。ついでながらあのサンシャインもすぐ近くでですがあそこは巣鴨プリズンといって戦犯を収容した拘置所だったのです。高いレンガの塀にかこまれていました。悲しい歴史があったのです。鬼子母神も近くです。時代小説を読むと雑司ヶ谷巣鴨、早稲田、板橋といった地名がよくでてきますが私が生まれてからずーと過ごしたところでいわばサービスエリアなのです。そのうち東京散歩にごいっしょしませんか。残念ながら今年は一度も上京していません。

そのうち、とおばけはめったにでない、なんていっているのはだれですか。

今日は庭から煙たなびく浅間山が遠望できます。

秋空にけむりたなびく浅間山