ラファカデオハーン、ゆっくり発音してください、舌をかむおそれがあります。そう、小泉八雲のことです。その著に、生神様、というのがあって安政南海地震(1854年)の際、村民を津波から救った浜口梧陵の実話をヒントに書いた。海の異変を察した五兵衛が収穫したばかりの稲に火を放つ、高台にある長者の家が大変だと一斉に村民が上がってくる。高台から海を見下ろして津波をしる。ハーンは津波を日本語の音に基づきTUNAMIの表記でかいた。これが世界につなみ、と言う言葉が広がるきっかけとなった。(信濃毎日新聞、6,6参照) そうだったのか、国際語となった、つなみ、は小泉八雲がひろめたのだ。耳なし芳一、などの怪談を書いた人、ご存知ですよね。私は鼻たらしのあくたれ小僧の頃から知っていたのです。別にキョウヨウがあったわけでもなく幼少にして文学に興味をもっていたなどというのではありません。ただご先祖様の墓と八雲先生のお墓がとなりだったからなのです。東京、池袋の雑司が谷霊園というところで、別に知り合いではありませんが夏目漱石、永井荷風、泉鏡花先生もおなじ墓地に眠っているのです。寒い話になってきたので墓地ボチおやすみなさい。