あれから10年

早いものです。東日本大震災から今日で10年、いまだ2000人の方が不明になっておられます。あの日は町に買い物にでかけて帰宅して一休みしようと思って椅子に腰かけたときに揺れがきました。ほとんど体に感じる地震がないところなのでこれはどこかで大きな地震が発生したと直感してテレビをみたのですがこれほどとは想像もつきませんでした。地震のほかに津波のすごさには声もでませんでした。泳ぎができない(内密にしてください)私は特に水には恐怖をかんじたのです。当地はまったく被害がなくて安心していたら川崎の菩提寺から連絡があり墓地の灯篭が倒壊して通路にとびだしたのでかたずけてくださいとのことでびっくりしました。後日、墓石をのこして撤去をいらいしました。何か所か倒れていたのでかなり大きなゆれがあったことがそうぞうできたのです。原発の事故ではいまだ帰還できない区域があって避難所生活の方もまだかなりおられます。過去の話になるのはいつの日でしょうか。災難はいつくるかわかりません、心して防災意識を持ちたいと思う今日の日でした。亡くなられたかたのご冥福を祈るとともに不明者のかたがひとりでも見つけられることをねがっています。 合掌。

 

 

ちなみに津波公用語として世界に通じる言葉だそうです。

コロナとスキー場閉鎖で宿は四苦八苦、名実ともに春が待ちどうしいのです。

いまのところ宿泊業がシクハック業ときこえるのです。