花恋し

快晴無風、暖かい日となりました。信州でも南から花の便りが

くるようになりました。フクジュソウが陽だまりでさいて梅の花がほころびはじめたようです。当地はまだ雪にかこまれていますが三寒四温で春が近づいてきました。花はそれぞれ香りをもっていてそのなかでも梅の花の香りはとてもふくいくとして春を思いおこさせるのです。東風(こち)ふかばにおい起こせよ梅の花、と菅原道真が詠んだように古来から愛される香りと花でした。(すみません、隠そうと思っていたキョウヨウがついでてしまいました) 花見も桜より梅が先輩だったのです。盆栽にこって梅の種類をいくつか育てたのですが山にもってきたらぜんぶかれてしまいました。寒すぎたのです。中で一番好きだったのは紅白に咲き分ける、思いのまま、でした。ほかに紅千鳥、道しるべ、白加賀、などがありました。そうそう湯島天神の梅は歌にもなっているように有名で青春のあの日を思い出して胸があつくなるのです。(胸やけではありません。)ほかの花の香については後日に。

 

不肖私が作詞して在京のYHさんが作曲してくれた曲があるので歌います。♫

(勝手にどうぞですか、ハイ)

 

 (一)信濃の山をさくらの花が桃色に染めるとき

    春がきました二人にも

    いくつも峠をこえてきて あなたを信じてついていきますどこまでも

    泣いて一生、笑って一生、明日の夜明けをまちましょう。

 

(二)信濃の里に雪解け水が とうとうと流れきて

    春がきました二人にも

    涙の川を越えてきて あなたを愛してついていきますいつまでも

    泣いて一生、笑って一生、明日の夜明けを待ちましょう

 

 

 

 

 

寒波

曇り空、マイナス5度、早起きおやじが6時に外に出たらマイナス10度、2日続けて外出時に吹雪にみまわれました。穏やかな陽気と同居するここ2,3日の天気なのです。北陸や北海道は大荒れの天候で心配です。3.11の震災から10年にしてまたも地震で東北は大変なことになっています。当地はまったく気がつきませんでした。地震が極端に少ない地域なのです。

コロナの影響と隣接スキー場閉鎖で創業38年にして今までにない優雅?な日々をおくっています。絵を描く時間や本を読むことがこんなにゆっくりできるのは神様のおくりものと感謝しています。でも時々オサイフの軽さに愕然とするのです。マニーの使い道に困っている方がいましたらいつでも協力いたします。

テレビを見る機会も増えて気になる言葉があります。ヤバイです。ドラマはともかく評論家と称する人から女子アナまでつかうのです。いろいろな意味に使えるので便利なことばではあるとおもうのです。私のご幼少のころは自慢じゃないが決してお育ちがいいほうではない家庭でも使わないことばでした。肩で風切るお兄さんや背中に絵が描いてある方が使う業界用語?だった気がするのです。言葉というのは時を経て市民権を得るものがあるのですね。でも不肖わたくしは使わないことばなのです。どうでもいいことを、おやじよっぽど暇なんだね。

 

☆ブランシュスキー場は積雪にも恵まれてベストコンデションです。3月中滑走可能ですのでご利用ください。

 

 

善光寺

例年松の内の10日前には初詣に行くのですがことしは外出自粛が出たのでどこえもいきそびれました。でもやはり善光寺だけはいかなければと思い立ってでかけたのです。案の定、いままでになく、人の出が少なくてお参りにいってからはじめての光景でした。車で行くと駐車場は本堂の裏手になるのです。いつもお参りをした後にある慰霊碑に必ず参詣するのです。神風特攻隊慰霊碑、があって信州出身の方が祭ってあるのです。17歳から20代の若い人が南海の地に散華した悲しい記録がきざまれているのです。 散華 花と散る、なんと悲しい言葉でしょうか、若者が何を思い旅だっていったのでしょうか。今の平和の時代、先輩若人たちの旅立ちを無にしないように私たちが平和をまもっていかなくてはなりません。やすらかにおやすみくださいと目頭をあつくして合掌したのでした。

吹く風は英霊たちのすすり泣き。

 

五輪組織委員会の会長の発言が問題になっています。新型コロナウイルス感染症が収束しない中での開催が可能なのでしょうか。多くの人が賛同しないかぎり開催は無理かとおもうのです。一部では国威発揚としての開催をどうしても必要であるという意見もあるようです。女性蔑視の発言は論外としても誰のための、何のための五輪かを問うてみたいものです。昭和の古いおじさんもきょうは何故かさみしい気持ちの一日でした。

 

 

大雪 

日曜日に朝起きたらすごい雪で約40センチ、北陸や東北とは比較にならないのですがこの辺りでは大雪なのです。除雪機を処分したので手作業で3時間、駐車場2台分でギブアップ、してしまいました。このご時世、お客様もいないので途中で辞めましたが今日は管理事務所におねがいして除雪をしてもらいました。明日、またゆきがつもりそうですが自力でがんばります。大変だと思わないで体のためにいいと思ってやります。繰り返しますが全く静かな冬となりました。おかげで好きな読書三昧の日々を送っています。早くコロナが収束して賑わいのあるスキー場になってほしいものです。

いつも昼時は混雑するソバ屋さんがすいているのでおどろきました。町に出るといたるとろの食べ物屋さんがテイクアウトのかんばんをだしています。外食しても衝立があってなんとなく落ち着かないのです。かみさんが都会では、ウバ(乳母?)といって宅配で食事ができるらしいけど、おばさんもたいへんねー、と言っていましたがあのウーバーとまちがえているらしいのです。常識がどっか欠如しているのです。

ところで子供がおかあさんに質問していました。ママ、国会議員さんてとてもえらいのね、昼間国会で政治をして夜クラブ活動をしているんだって、銀座のクラブ活動なんていいわね、私たちコロナの影響でクラブ活動は自粛しているのに。H子ちゃん、それはお金持ちの大人だけのできる活動なのよ、なんでお父さんはやらないの?。だってパパはそんなお金がないもの、おまえも大人になったらピンクの制服なんか着て夜のクラブ活動なんかするんじゃないよ。

今日の山のボケシニアカップルはびんぼうゆすりをしながらあんみつを食べて怒りにふるえているのでした。

 

 

 

 

 

 

大相撲

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寒い朝にはスターダストといって空気が凍り付いて舞ってくるのです。それはとても幻想的な光景で木々も凍り付いて霧氷となります。浅間山をバックにしての風景はここに住んでいるもの至福の時なのです。それにしてもマイナス10度は寒い。大寒にふさわしいさむさでこれからの半月ぐらいが一年で最も寒いきせつなのです。コロナの影響でお客様も少なく寒さが一層身に染みる朝となりました。 例年よりテレビもよく見るようになり大好きな相撲も見ていますが、スター不在でさびしい本場所です。子供のころの遊びといえばもっぱら相撲か野球でお祭りの神社での相撲大会などはとてもたのしみでした。すごく強い相手がいて土俵下に投げ飛ばされた記憶がありますがそのお兄さんはのちにヤクザさんの幹部になっていました。おおこわい、ところでボクの得意技はやせて小柄なくせに左よつ右上手からの上手投げだったのです。大きな相手にはけたぐりという足技をつかいました。相撲界ももっとすごく強いひとや多彩な技をもったものがでてくるとおもしろいのですが。制限時間というのがあって仕切り直しをくりかえしますが昔は無制限であいつが登場したら、待ったがつづくので、しとっぱしり用を足してこようという話もあったそうです。のんきな時代だったのですね。八百長、タニマチといったような相撲からでた言葉はいまもつかわれています。詳しい解説は後日にします、なに別に聞きたくもないわ、私。

 

 

 

 

 


 

コスモス

しんしんと雪がふっています。思い出しても寂しい、悲しい気持ちになります。5年前の15日未明、軽井沢でスキーバスの転落事故があって13名の若い学生が犠牲となりました。対物ではなくバスの単独事故でバス会社の責任がとわれています。ご遺族のかたがコスモスの会という遺族会を結成しました。コスモスは軽井沢町の町花となっています。我が家の庭にはコスモスの群落があって高原のまだ花が少ない5月に庭をいろどります。30数年まえに軽井沢植物園の佐藤先生からいただいたのを年々株分けしてふやしてきました。この地に相性があったのか厳寒の冬にも耐えて春の訪れを告げてくれます。サクラソウプリムラといって一番という意味からきています。プリムラポリアンサスという種類もとてもじょうぶです。さくらそうのように春一番に咲いて活躍を期待された青年諸君、どうかやすらかに眠ってください。コロナでバス会社も苦境にたたされていますが、安全第一の営業をお忘れなきようおねがいいたします。週末の来客はすべてキャンセルとなり静かな室内で久しぶりにじっくりと花の手入れをしました。一鉢づつすべての鉢にていねいに水やりと霧吹きをしたのですが植物がいっせいに、ありがとうといってくれました?。

レクエームはあまりにさびしいのでモーツアルトピアノ曲をかけてご冥福をいのりました。

しんしんと悲しみこらえ雪が降る

 

ああ、成人式

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成人式おめでとうございます。1月12日、本来なら盛大に行うはずがコロナ対策で中止になったり縮小されたりオンラインですましたりと残念な年になりましたがこれからの日本を背負って立つみなさん重いけれどがんばってください。でも振袖のあでやかな姿は毎年見てもすてきです世界でも注目されているそうです。

浅間山若人まもり凛とたつ。

 

成人式の起源は昭和21年(残念ながらおじさんすでに生まれていました)埼玉県の蕨市で行われた青年祭というのがはじまりだそうです。はじめは15日でした。ちなみに盛大に行うのは日本だけのようです。サウジでは15歳だそうです。ところでおじさんは成人式を知らなくて、当時ひとり住まいをしていた下宿から外をながめていたら知り合いの同級生のオネイサンが振り袖姿もいたにつかない歩き方で路上にあらわれたので、どうかしたの?と声をかけたら、あら、今日は成人式よ、知らないの、といわれました。まったくしりませんでした。俺はもうとっくに成人してらー、などと粋がっていたわけではないのですが家族も職場もまったくボクの成人式に関心がなかったのです。おもえばいい時代?でした。朝から晩まで(労働と勉学に、おやじ、なにをかっこつけてるですか、)一日がんばって休日は爆睡ときめていたのです。第一あの講堂でえらいおじさんの訳のわからない挨拶を想像するだけでつかれてしまうのです。 おまえみたいなヘソまがり、は山の奥でもいっちまえ、はい、お父様そうします、というわけで山の奥での生活がはじまったのでした。ジャン。

 

雪原に鹿の足跡てんてんと。

 

さらさらのパウダースノー、快晴無風、雪をかぶった八ヶ岳浅間山は絶景です。かってないほどの少ない人出、スキー場閉鎖で音楽もなく、まったく静かな高原なのです。近隣のスキー場は営業しているのでおでかけください。