峠と分水嶺


春は茫々何にもないのが実にいい。 尾崎喜八という詩人が杖つく峠でこんな誌をよんだのをおもいだした。森村誠一がこの峠を舞台にして分水嶺という小説を書いている。峠とか分水嶺ということばにはなにかロマンや哀愁をかんじさせられる。藤沢周平の小説にも恋する男女が悩んだすえに峠をこえて他藩に出奔するというくだりがある。ところで峠が大好き人間としては最近気になることがでてきた。国道152号、分杭峠、その昔伊那藩と高遠藩のとの境に杭をうったのでこの名がついたとされあのヤマトタケルノミコトも東征のおりに通過したといわれているのです。ここで何年か前に中国人の学者が、気が出るところと紹介したところクチコミでひろがりすごい人が来るようになったのです。なんの変哲もない山のなかの峠なのです。以前はほとんど通過するだけの人がおおかったのに今では渋滞までするのです。磁場があってここに座ると、気、の効果で血糖値が下がった、うつが解消した等々でいまではベンチやトイレまでできたのです。車を少し止めて様子をみただけで、なんでここにとめるんだ、と怒っているおじさんがいました。ここにくると血圧があがってうつになりますよ、といってやりたくなりました。ところで気、とは元気、陽気、天気、景気とさまざまな言葉でつかわれる漠然としたものなのです。信州の南にいくときはいつもこの道を走るのだが分杭峠、人がおおすぎてさびしい限りです。ここで、一服コーヒータイムができなくなってしまいました。近頃町おこしとかでにわかに分水嶺トレイルなどというのが脚光をあびてきた。日本の背骨に位置する信州にはいたるところに分水嶺があります。観光につながるといいのですが。個人的には峠には一人静かにたって反省ばかりの過去をふりかえってみたいものです。

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孔雀サボテンが咲きました。寒い冬もよくがんばりました。ありがとう。