討ち入り

alpenflora2010-12-14

元禄15年、12月14日赤穂浪士の吉良邸討ち入り。深夜、徒党を組んで他人の屋敷に押し入るなんてなんと無法で理不尽な行為なのだ、というのは現代の感覚で江戸時代にはなんと大目にみられたどころか喝采をあびた行為だったのです。おのおのがた討ち入りでござる、おなじみのセリフで映画でも芝居でも大石内蔵助はすごくいい男で吉良上野介はいかにも悪役じみたじいさんになる。芝居はご存知のとうりなのだが影でとても可愛そうな青年がいたのです。吉良さんの養子で義周(よしちか)は討ち入り当日切られて気絶、後、幕府から父をまもれなかった、としてお家断絶ご、信州、諏訪高島藩にお預けになったのです。病弱だったので3年後23歳で病死してしまいました。おいたわしい若殿、グスン。諏訪大社のとなりにある法華寺に小さな墓があるのです。これがほんとの、きら、れ損でした。諏訪大社にいったらおまいりしてやってください。          つもる雪こころ残りのすすりなき。                          忠臣蔵太閤記は昔からどういうわけかヒットするそうです。吉良さん吉良町(愛知県)では名君のほまれ高い人だったそうです。

いつも園芸店の前でこのランがほしいなとおもいながら購入できなかったシンビジュウムがNさんから届きました。去年もいまごろとどいたのでした。これでシクラメンポインセチアと3役がそろいました。