わが心の浅草

alpenflora2007-01-22

テレビ番組で(浅草ふくまる旅館)というのをみました。当地では信越放送です。子どもの頃、昭和20年代はまだ焼け跡が残り上野駅から歩いて浅草へいったのですがいたるところに浮浪者がいました。浅草寺もたしか鉄骨の骨組みがみえていたようにきおくしています。ひょうたん池というのがあって木馬館があって木製の木馬がまわっていました。父は浅草育ちで浅草六区の映画街で若いころ働いていて当時世話になった人の墓参が名目で連れていかれました。その人がどういう人かいまでは知る由もありません。六区を肩で風を切り義理人情の世界で生きた父とは思春期とともに激突をくりかえし家をでてから浅草には見向きもしなかったのですが年とともに妙になつかしくなってきました。上京するとよくたちよります。当時、六区の映画街はものすごい人で映画館もすしづめ状態でした。いまでも片岡知恵蔵のでた八墓村をおぼえています。三社祭も時々みにいきます。血筋というか親戚で祭りオタクがいてかついでいるのです。浅草もあかるくきれいになりました。
そうそうカミサンとの初デートは浅草でした。天婦羅がうまっかった。 雪がふってきました。古い話はこれくらいにします。

雪山で祭囃子の夢をみる。